2009年1月14日 (水)

小さい背中

10年間一緒に仕事を共にしたある人物がいる。

ある人物というか、俺様の直属の上司だ。

残念ながら上司だが一度も尊敬をした事はない。

経験も資格も有し、外見からみれば立派な人物だ。

ただ俺様はその人物を「人」として尊敬出来なかった。

ただ公私共々俺様だけは可愛がっては頂いた、それには感謝はしている。

18歳の世間を知らない青尻時代からその人物の背中を10年間見てきた。

しつこいようだが、「尊敬」はしていない、でも俺様の中では当時からとても大きな背中だった。

10年目見続け、その人物の背中を見るのを辞めた。

お互い別々の道を歩み、そして7年の月日が流れた。

そして不意に数日前再会した。

残念ながら俺様の知る「大きな背中」は見る影も無かった。

俺様自身お世話になった。咄嗟に駆け寄り挨拶をした。

だがその人物は俺様を見るなり、ビターな顔つきに変貌し、軽く会釈だけをし、逃げる様に立ち去った。

悲しい事に、その背中が凄く小さく見えた。

本当に小さかった。

強者が弱者に変貌してしまった姿を目の当たりにした瞬間だ。

尊敬はしていなかったが、その姿、無性に辛くなった。いや、切なくなったという表現か。

何故かは解らない。

ただ辛かった。

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2008年5月24日 (土)

ママさんダンプ

とにかく無事に面接先に到着し、いざ入館である。

有る程度予想は付いていたが、お世辞にも立派なホテルとは言えない。

何処で感じ取れたかというと、入館する際に最初に視界に飛び込んできたのが、真っ赤に輝く「ママさんダンプ」だ。

ホテルの正面玄関のメインに「ママさんダンプ」だ。

ベルボーイではなく「ママさんダンプ」だ。

「しまっとけよ」と心で叫んだ。刹那さが込み上げてきた。

しかしながらだ。少しハードルが下がって安堵感が湧き出る自分も情けなかった。

そんなホテルにもロビーには客がわんさかいらっしゃる。

今日は丁度ホテルに付き物の「ディナーショー」のようである。

ピンクレディーの片割れ(未唯だったか?)のショーらしい。

尚更「ママさんダンプ」は片付けて欲しかった。

フロントで名を名乗り、そそくさと社長室に案内され、確か「社長」と「専務」との面接だった筈だ。

内容は余り覚えていないが、良い印象は無い。お二方が何を俺様に求めているかさっぱり理解できなかった事だけ覚えている。

何を喋ったかもよく解らず、席を立ち、「未唯」さんのリハーサルの歌声を背にホテルを出た。

景気の良い時代だった、誰でも良かったのだろう、そんな感じだ。

案の定3日後に採用通知があったが、喜こびは一切無かった。

あの「ママさんダンプ」の配置で、このホテルの全てを決め付けた自分がいた。

皆さん理解出来るであろうか?

別例を挙げよう。

「木村拓哉」は男前である。でもよく見ると少しズボンのチャックが開いていたらどう思うだろうか?

それ位致命的なのである。

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2007年11月 6日 (火)

微笑

ここまで投稿をサボると流石に愛読者の皆様に申し訳なくてしょうがない。

俺様は漫画が大嫌いである。だがある1つの漫画だけは1巻から愛読させて頂いている。だが新刊の発売日が遅れると気が狂いそうになる日々が続く。

そういう作品を目指したい今日この頃ではあるが、なにせこの作品は「ノンフィクション」である。

よって俺様の人生自体がかなりクレイジーではない限り、面白い作品にはならないという事である。

という事で本題に入ってやろう。

第2戦目となる会社への書類審査が通り、晴れて面接となった。

そこの会社は多少交通の便が悪く、どのように出向こうと悩んだ挙句、滅多に会話を交わしもしない「親父」に頼む事にした。

会話を交わさないというか、親父は無口で感情を表に出さない性格なのである。

そんな親父に何故頼んだか。親父が間違いなく喜ぶと思ったからだ。

息子の就職活動の手助け、喜こばない親などいない。

まぁ 選択肢が無かったといえば、それが一番の理由になる事は残念ながら間違いなしなのである。

たいした打合せも無く面接当日を迎えた訳である。

「あの建物だよな」とぼそっと親父が口走り、出発した。

以前に何度か足を運んだ事があるらしいそうだ。

片道40分、会話をした記憶がない。親父が場所を知っているという安心感からか、軽く助手席でうたた寝していた記憶はある。

「着いたぞ」の親父の声で起こされた。

目を開けた。明るい視界に入ってきた物と言えばだ。

俺様が全く見た事の無い建物を指を刺して微笑んでいる親父の姿が其処にあるではないか。

俺様は寝ぼけ声で「違うよ」と発した。

あっという間にだ。先程の満面の微笑は消え去り、脂汗が流れ出る親父の姿が其処にあるではないか。

その後の事はよく覚えていない。俺も親父もパニックになっていたから。

面接には間に合ったという事だけは覚えている。

あぁ もう1つだけあった。

正しい場所も見つけた瞬間の親父の最高の安堵感からくる笑顔だ。

あの笑顔はどんなCMタレントでも無理であろう。

そう俺様なりに確信している。

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2007年2月 9日 (金)

再戦

前話の内容通り、第一次就職活動は見事敗北であった。

まぁ 面接の時点で敗北を自覚していたので不採用通知には何の感情も無かったのである。

という事で、気分も新たに第2回戦である。

矛先はこれまた凝りもせず前話と同じ職種である。

今もそうだが、昔から「これだ」と決めた事を曲げられない性格である。悪く言えば物事に対して柔軟ではないという事になる。

しかしながら今回は流石に英会話が無い世界をチョイスさせて頂いた、少し成長したようである。

しかしここでまた俺様の性格が発揮されてしまう。

人が選ぶ場所、企業はまず御免なのである。

誰もが目に留めぬ企業、これが魅力的なのである。

突然話が飛んでしまうが、俺様の財布は「プラダ」である。

でも思いっきり偽物である。

勘違いしないで頂きたい。騙されたのでは無く、あえて偽物をチョイスしたのである。

誰も買わないであろう商品、これが魅力なのである。

使い続けて8年。一度も恥じる事無く使わさせて頂いている。

劣化が激しい、1円玉などよくするりと逃亡していく。

しかしながら入れ替えるつもりは毛頭無しの方向なのである。

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2007年2月 1日 (木)

閉幕

俺様は英語が嫌いである。

まず書けない、読めない、理解が出来ない。

多分ではあるが、恐らく中学校で初めて習う英語の基礎を覚えなかったのが原因と激しく痛感する。

というか当時全く興味が無かったのだろう、覚える気も無かった。

軽く後悔はしている。前々話に戻るが就職希望先がホテルのフロントサービスなのだから。

面接官に言われた一言が未だに脳裏に焼きついている。

「フロント希望でこの英語の成績ですか?」と。

何も言えないのである。

ちなみに企業側に提出された俺様の学力表の英語は10段階評価で「2」である。

中学から高校までの6年間で「3」以上の評価を頂いた事が無い。

この時点で「落ちたな」と激しく実感したのである。

逆に落ちて良かったという気持ちもこの時点で激しくこみ上げてきた。

興味だけで挑戦した「フロントサービス」。

閉幕である。

英語も出来ないで外人との接客。自爆行為もいいとこである。

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2006年12月28日 (木)

激動

今年もいよいよ残すところあと3日である。

今年を振り返ってみれば、恐らく人生の中で「最速」に時が流れた一年である。

「激動の一年」まさにその言葉がジャストフィットなのである。

とにかく忙しい日々が続いた。

走った、駆け抜けた、疲れ切った。そして雪が降った。

まぁ 退屈な人生よりはいいかと、俺様なりにポジティブな真似事でやりきった1年である。

時間に流れ流され、結局自分のやりたい事が何も出来なかった。

というかやりたい事すら探せなかった。

じゃあだ。来年は今年の屈辱を晴らすべく、大胆にもやりたい事を探し、没頭する事を俺様なりに決断したのである。

このままでは、1年どころか、10年も最速で終わらせる気がしてしょうがない。

1年をもっとじっくり楽しみ、味わう。

来年はそんな年にしたいものである。

気付けば今年で32歳、もう32歳だ。

自分が一番驚きの色を隠せない。

先日2歳の息子に「パパ臭い」と言われた。

2歳児の言う事だ、本当かどうかは判らないが、正直ショックだった。

遂に子供から臭いと言われる歳になってしまった。

そのうちオヤジ狩りに遭うのではないかと心配でしょうがないのである。

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2006年12月15日 (金)

号泣

タイトル通りである。

それも俺様がである。

それも朝5時過ぎからである。

何が起きたかというとだな。溺愛していた「かぶと虫」がこの世を去ったからである。

思い起こせば今年の夏の終わり、息子に見せたい一心で1匹の「かぶと虫」を譲り受けた。

息子の喜ぶ顔が見たいが為に。

しかしながら、家に持ち帰れば、期待とは裏腹に酷い対応でお出迎えである。

息子ときたらとんと興味無し。嫁に至っては「捨てろ」扱いである。

このままでは気が治まらない。

頭に来た俺様は泣け無しの小遣いで虫かごを購入し、死ぬまで飼いきる決意をしたのである。

3日に1度餌も替え、毎日霧吹きで水分補給までしてあげた。家族の冷たい視線を浴びながら。

俺様の独断の判断で息子の林檎をかぶと虫の餌とした時、嫁と大喧嘩した時もあった。

譲り受けた時に「かぶと虫なんか秋までしか生きない」と言われていたが、12月まで生きてくれた。

手塩に掛けた分、悲しみが止まらない。

そういえば、昔飼っていた居「セキセイインコ」が他界した時も、号泣した記憶がある。

俺様は基本的に涙もろいのである。

なので犬や猫などは絶対飼いたくない訳である。

他界したときの事を考えると、恐ろしくてしょうがないのである。

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2006年8月25日 (金)

緊張

久々に校則に則った学生服を身にまとった。

そう、遂に就職活動第一章の始まりである。

俺は汗を滅多にかかない、どんなに過酷なマラソンでも。

しかしこの日は生まれて初めて「汗が流れる」という貴重な体験をしてしまった。

とにかく緊張した記憶しかない。

自分の学歴とは裏腹に、一流企業の大手ホテルに面接しちゃっているのである。

敷地に入っただけでもエライ緊張具合である、大体にしてシティホテルになど入ったことも無い、せいぜい温泉ホテルもいいところである。

当然鬼のような求人数、周りを見渡せば、どいつもこいつもエリートは学生服に包まれた奴等ばかり。

殆どの奴等が眼鏡を掛けた「出来杉君」みたいな奴等ばかりだったと記憶する。

俺様の希望部署は「フロントサービス」。

よく客と喋れそうだからとの安易な考えでの応募である。

この安易な考えが、自分を苦しめる事になろうとは。

地獄の面接タイムが遂に訪れるのである。

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2006年6月21日 (水)

老舗

人と同じ事をするのが大嫌いな俺様である。

今も昔も変わらず。

例えになるかどうか微妙だが、ルイ・ヴィトンの財布など言語道断なのである。例え198円で販売されていても見向きもしないであろう。

そんな性格が就職活動にも間違いなく反映された。

そう、俺様も学生から社会人になる時期が来てしまった時の話だ。

何をやりたいか、そこは優柔不断な俺様でも既に腹に決めていた。

きむら精肉店でお気に入りになってしまった「接客」という物をだ、俺の人生のパートナーにと決めていたのだ。

尻の青い当時の俺様は「接客」イコール「ホテル」としか思いつかなかった。

俺様はホテルでしか働けないんだと決め付けていた。

今考えれば何ともおつむの弱い発想である。

同級生にも俺様と同じ考えを持つ奴等が30人位は存在していた記憶がある。

でも奴等は皆、某大都市の某大手老舗ホテルにしか興味がなかったようだ。

正直俺様も少しは興味があった。

だがしかし、そこで俺様の性格がフルに稼動してしまうのである。

奴等の行きたがっているホテルの正反対の方向の都市のホテルに履歴書を送ってやった。

そんな安易な考えが今後の人生を左右するとも考えず。

しかしながら、今考えればだ。奴等と同じ事をしていたら、俺の今の人生はどうなっていたのであろう?

その某大手ホテルには確か10人以上は入社した筈だ。

でも10年以上経った今、まだ勤めているという奴等の話は一切聞かない。

もし俺様がそこに入社していたら、どれ位続いていたのであろう?

人生を2度楽しめるなら、試してみたいものだなと軽く考えてしまう、今日この頃である。

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2006年5月 2日 (火)

ルーレット

最近は少し景気が宜しくなってきたらしいが、未だに就職氷河期であるようだ。

俺様もたまに仕事で「ハローワーク」という公共施設に足を踏み入れるが、正直何もかもが危険極まりない。

ある意味中高年齢者達の休憩施設に近いものがある。言葉は悪いが競馬の場外馬券場の光景に非常に酷似している。

もう十数年前になるであろう、俺様の就職活動時には今のご時世とは比較にならない程の就職窓口が存在した。

1人に対して5件もの企業が選べる時代であった。今では考えられないのである。

求人情報などは電話帳並みの厚さで30冊とか。選びたい放題である。

そんな裕福な時代でも、仕事を決めきれない友人が当時1名存在した。

何故かというと「やりたい仕事」が無いからだという。

早い話仕事がしたくないのだろう。

その友人が俺様の所に相談を持ちかけた。

「俺の就職先を決めてくれ」というのだ。

確か2月後半、周りの人間は殆ど進路など決まっている、挙句の果てに今日進路締め切りだというのだ。

それも締め切り30分前だ。

なんとも末恐ろしい。

選んでいる時間など全く無い。

可哀想ではあるが、電話帳ほどの求人誌をパラパラと高速でめくり、「はい!ここ!」とルーレットの様に決めてやった。

俺様が指をさした場所は「シャッター製造加工員」であった。

俺様に依頼した彼はその選択に躊躇もせず「じゃ、ここで!」との言葉を置き土産に立ち去った。

誰が面接しても「採用通知」が来る時代、当然彼にもシャッター製造業から「採用」の通知が届いた。

「1ヶ月持つかな?」と予想していたが、なんとか1年程はもったようだ。

しかしその後の彼の人生はルーレットの様に廻りまわるべく人生である。

何度仕事先を変えているだろうか。30歳を過ぎた今でも瀬戸際な人生を歩んでいる。

ポケットに500円だけ持って3日間生活してみたり。そんな人生。

ある意味スリリングな人生、そんな人生を経験していない俺様にはだ。

ほんの少しだけ羨ましいと思う。

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